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青森家庭裁判所 昭和62年(少)0350号 決定

少年 B・O(昭48.4.29生)

主文

少年を初等少年院に送致する。

理由

(非行事実)

少年は、

1  a及びb(触法少年)と共謀のうえ、昭和62年8月6日午後11時ころ、青森市大字○○字○○××番地の××において、c所有の原動機付自転車1台(時価約5万円相当)を窃取した

2  d、e、a、f、g、D、h及びb(触法少年)と共謀のうえ、同年8月7日午前2時ころ、同市大字○○字○○××番地の××所在のi方倉庫において、同人所有のバイク3台外約122点(時価合計約金26万2950円相当)を窃取した

3  公安委員会の運転免許を受けないで、同年8月27日午後4時22分ころ、同市大字○○字○○××番地付近道路において、第1種原動機付自転車(青森市×××××)を運転した

4  h及びb(触法少年)と共謀のうえ、同年9月26日午前零時10分ころ、同市大字○○字○○××番地先空地において、同所に駐車中のX所有の普通乗用自動車(登録番号青森×××××××号)のアンテナ、サイドミラー、ボンネット、前照燈、タイヤ等の各部分を、所携の金属製の特殊警棒、木刀及びナイフをもって強打したり、突き刺すなどして損壊(損害額合計約金29万4320円相当)し、もって器物を損壊した

5  公安委員会の運転免許を受けないで、同年10月5日午前1時38分ころ、同市○○×丁目×番×号付近道路において、上記車両を運転した

6   (1) 昭和63年5月7日午前8時30分から同日午前8時45分ころにかけて、同市○○×丁目××番×号所在の青森市立○○中学校の管理棟と教室棟を連絡する西側連絡道路である西側中央廊下において、同校教諭F(当時43年)に対し、手拳で、同人の顔面を3回位殴打し、更に、同校校長室において、手拳で、顔面を5回位殴打する暴行を加え、よって、同人に対し約5日間の経過観察を要する右顔面打撲の傷害を負わせた

(2) 前同日時ころ、前記校長室において、同校教頭G(当時54年)の左足を左足で一回足蹴りにしたうえ、同人の顔面を右手拳で1回殴打する暴行を加え、よって、同人に対し約1週間の経過観察を要する左顔面打撲並びに鼻出血の傷害を負わせた

7  前記中学校に在学中の者であるが、昭和61年3月以降児童相談所において継続的に指導を受けながらも、原動機付自転車の無免許運転、校則違反、授業妨害、学校教師への反発を繰り返し、学業課程も充分に履修できておらず、保護者も少年に対し適正な監護指導の措置を講じていない状況にあり、自己又は他人の徳性を害する行為をする性癖があり、その性格、環境に照らして、将来道路交通法違反の罪などを犯すおそれがあるものである。

(非行事実を認定した理由)

1  非行事実1ないし4は、少年自身もこれらを最終的には認める旨の陳述をし、これと送致事件の関係各記録によりいずれも認めることができる。

2  非行事実5については、少年は、同事実に摘示される日時ころ、同車両を、同摘示の道路脇空地に、以前貸与していた友人から返還を受けて置いておいてもらい、その様子を見るため同空地内に居たことはあるが、同空地外の通路上を運転したことはない旨陳述し、無免許運転の事実はこれを否認し、同非行事実の送致記録中の交通事件原票には、同無免許運転を現認した旨の司法巡査A〃作成の捜査報告書は存するが、同運転を認める旨の少年の供述書は作成されていないものである。しかるところ、証人A〃の当審判廷における供述、前記交通事件原票中の司法巡査A〃作成の捜査報告書その他関係証拠によれば、同空地脇の道路上で同車両を運転する少年を現認した旨の同証人の供述は信用することができ、同非行事実を認定することができる。

3  非行事実6の(1)、(2)については、少年は、同事実に摘示される日時ころ、同各場所で、F、Gらと、同伴、同室していたことはあるが、同人らに対し一切暴力は振るっておらず、逆に、学校廊下で、Fにより強引に引き立てられるなどされたうえ壁に身体を突き飛ばされるなどの暴行を受け、校長室ではF、Gとその他教師から、殴る、蹴るの暴行を受け負傷した旨陳述し、同各非行事実を否認するものである。

そこで、非行事実6の(1)の少年の暴行の存否についてまず検討するに、送致にかかる関係記録、証人Fの当審判廷における供述及び少年の供述を総合すると、当日、少年は、任意か否かはともかく、F教論と共に、同校×年×組教室から西側中央廊下を経て校長室前まで、終始密着した状況で赴き、校長室内でF、Gらと同室したものであり、この間に、少年とFとの関係が険悪になり、両者の間で揉み合いがあり、相互に実力が行使されたことが認められるところ、この間にFが負傷していることは、同記録中の医師j作成の診断書及び証人Fの当審判廷における供述により認められるところであり、Fが他の機会における何らかの負傷をこの機会の傷害に転じていることなどの疑いをいれる余地はない。そして、この負傷が、少年と揉み合ったりなどした際にFが誤ってした自傷行為であるとは到底言い難く、少年の側からの何らかの行動の結果によるものと認められる。そこで、この行動について検討するに、前記診断書により認められるFの負傷の部位、審判の結果認められる少年及びFの各体格、同人の経歴、送致記録中のFの司法警察員に対する供述調書の内容、証人Fの当審判廷における供述と、少年の送致記録中の司法警察員に対する各供述調書と当審判廷における供述の内容とを総合勘案すると、上記負傷を導いた行動は、少年によるFに対する積極的な意図的行為であり、手拳による殴打行為であったと認めることができ、揉み合ったりなどした際に少年の体の一部が当たったというような偶然のものであったり、反射的な防衛動作であったとの疑いを入れる余地はない。

非行事実6の(2)の少年の暴行の存否については、前同様に、関係各証拠によりGと少年が校長室に同室した間にGが負傷したことが認められ、Gが他の機会における何らかの負傷をこの機会の傷害に転じていることなどの疑いをいれる余地はなく、審判の結果認められる同人の負傷の部位、程度、送致記録中のG、F、R、S、Q及びkの司法警察員に対する各供述調書の内容、証人Fの当審判廷における供述と、少年の送致記録中の司法警察員に対する各供述調書と当審判廷における供述の内容とを総合勘案すると、上記負傷を導いた行動は、非行事実6の(2)に摘示のとおり、少年による積極的な手拳による殴打行為等であったと認めることができ、揉み合ったりなどした際に少年の体の一部が当たったというような偶然のものであったり、反射的な防衛動作であったとの疑いを入れる余地はない。

なお、付添人は、証人U子、同T子の当審判廷における各供述中や、送致記録中のU子の司法警察員に対する各供述調書中に「同学校の西側中央廊下の中間あたりで、F先生が少年に積極的な暴力行為に及んでいた。」旨の供述部分があることや、付添人提出の上申書中に同校×年生Vの「校長室内で少年が先生多数に暴行を受けているのを学校校庭から校長室の窓越しに目撃した。」旨の陳述録取部分があることを捉えて、少年暴行事実に沿う送致記録中の関係記録や、証人Fの供述の信用性を争い、少年の暴行事実を否定するものであるが、それら資料は、上記のとおりの暴行、傷害の認定を何ら左右するものではない。

ところで、少年の上記暴行については、関係送致記録、上記各証人の当審判廷における各供述及び少年の供述によると、当日1時限目の授業開始前Fの教論の少年に対する注意とそれに続く指導に端を発し、同教論が指導のために少年を教室から同校生徒相談室へ同行する途中と、生徒相談室から指導場所を変更された校長室において、学校教師の態度もしくは学校指導の内容に対する少年の反応として惹起されたものであることが認められるところ、この教師の態度について、教師の側からするその教育の限界を越えた少年に対する違法な侵害行為というべきものがあったことを疑いもしくは認めることはできない。なお、当審判において少年側より医師1作成にかかる昭和63年5月7日付け診断書が提出され、この診断書は問題とされている事件の後の当日午後に診断作成されたものであることは、同診断書の作成日付、少年とその父の供述により認められるところ、これには「左下腿打撲症、頭部・顔面打撲症、5日間の加療および経過観察を要する。」との記載がなされており、少年は当日午後に負傷していたことが認められ、これと前記のとおり付添人指摘の、証人U子、同T子の当審判廷における各供述中や、送致記録中のU子の司法警察員に対する各供述調書中における「同学校の西側中央廊下の中間あたりで、F先生が少年に積極的な暴力行為に及んでいた。」旨の供述部分によると、教師による暴行がなされたかにも見えるところ、少年の上記負傷については、M及びFの司法警察員に対する各供述調書によると、少年において、当日の午前7時50分ころ登校して姿を見せた時、「片方の目の周囲が青くなっている」、「顔の左目の回りを赤くしており」との供述部分があり、証人Fの当審判廷における供述にもその旨の部分があり、これは殊更の作為供述とばかり言い難く、当日事件発生前に少年は顔面を負傷していたとの事情も窺われ、上記診断書記載の負傷が、教師による暴行の事実を直ちに推認させるものであり、あるいは、教師による暴行の結果であるとは必ずしも言い難い面を有しており、また、証人U子らの前記供述部分については、教室から同校生徒相談室への少年同行の途中の場面を捉えてのものであり、そのとおり教師の暴行があったとしてその発端、経緯は定かでなく、それが教師の都合や感情から一方的に開始されもしくは少年の行動と無関係に採られたものとばかりは、送致記録及び証人Fの当審判廷における供述から窺われる学校側の少年に対する平素の対応態度とも相照らして、直ちに推測しがたいものである。そうすると、上記指摘の各資料は、教育の限界を越えた違法な侵害行為としての暴行とそれによる傷害が教師から少年に対し加えられたことを疑わせもしくは認めさせるものではない。また、付添人提出の上申書中の同校×年生Vの「校長室内で少年が先生多数に暴行を受けているのを学校校庭から校長室の窓越しに目撃した。」旨の陳述録取部分については、同部分を直ちに採用しがたいうえ、証人U子らの前記供述部分について述べたのと同様の理由により、教師らの違法な暴行行為を疑いもしくは認めさせるものとしては採用しがたい。以上の次第で少年の前記各暴行とそれらに起因する各傷害が認められ、その違法性や責任を阻却し、左右する事情を認めることはできないので、非行事実6の(1)、(2)のとおりの各犯罪が成立するものである。

3  非行事実7については、送致にかかる関係各記録及び審判の結果によりこれを認めることができる。

(法令の適用)

非行事実1、2について いずれも刑法235条、60条

非行事実3、同5について いずれも道路交通法118条1項1号、64条

非行事実4について 刑法261条、60条

非行事実6の(1)、(2)について いずれも刑法204条

非行事実7について 少年法3条1項3号ニ

(処遇の理由)

1  一件記録及び審判の結果によれば、次のとおりの事実を認めることができる。

少年は、昭和48年4月に二人兄弟の二男として出生し、同年5月父母は協議離婚したが、父と同居の父方祖母と別居の状態の母により兄と共に養育されていたところ、昭和52年に母は家を去り、以後父と同居の父方祖母に養育された。少年は、幼稚園に行かず、昭和55年4月に小学校に入学したが、1年生時は登校拒否41日で遅刻が多く、2、3年生時は学校において衝動的な発言が目立つという学校所見であり、昭和57年9月ころにはスーパーマーケットでの万引き行動があり、4年生時は47日の登校拒否と病気欠席28日、5年生時は登校拒否66日と病気欠席49日、6年生時は登校拒否161日と病気欠席15日という状況で学校生活に適応できない状態が続いていたところ、少年は、4年生時ごろから父にバイクを買い与えられ、道路以外の場所で運転するモトクロスを始めるようになったが、道路上で運転したとして警察に注意補導されることなどが多く、そのことについて警察と少年父との間で対応の在り方について紛糾することが少なくなかった。少年は、小学6年生の昭和60年10月ころから万引き等の問題行動が目立つようになり、同年11月には児童相談所において関与指導するところとなり、再三にわたる来所連絡がなされたが父子とも出頭しなかった。少年は、昭和61年4月○○中学校に入学することとなったが、入学式において、学校側よりズボンの裾が広く頭髪が長く一部脱色していることを改めるよう指導されたがこれに従わなかったため、参加を拒否され、以後欠席の状態が続き、5月以降は無免許運転や問題行動が目立ったが、学校と父親との間には指導上の連携を欠く状態であった。少年は、昭和62年4月に同中学校2年生に進級したところ、その行動を巡って教師と対立することが多く、同年8月には少年宅が少年達中学生などの深夜溜まり場となり、無免許運転をして徘徊するなか更に運転車両が欲しいとの集団状況から非行事実1、2を惹起し、更に同3を惹起したが、同非行は、無免許運転中をパトロールカーに現認され停止を求められたところを逃走して追尾され、さらに車両を放置して逃走のうえ建物新築工事現場に隠れているのを発見されて、父親に引き渡されたものであり、9月には、友達のbが学校教師の態度に腹が立つので、その仕返しに同教師の自動車を壊すということに同調して、少年自身は自動車のタイヤにナイフを突き刺すなどの行為をする非行事実4を犯し、10月5日深夜には無免許運転を検挙される非行事実5を犯したが、少年は空地内での運転であり違反はない旨の供述をし、当日父親に引き取られたがその後の警察からの取り調べ要請に応じないままに推移した。その後も、少年は、学校側から問題行動が目撃指摘されていたところ生活態度に変化は無く、当裁判所に対し非行事実3、同5の各事件が送致されるとともに同7のぐ犯通告が児童相談所からなされ立件されるに及んで、同年11月20日観護措置を執られた。非行事実1ないし5、同7についての少年審判において、少年の非行事実に対する認否は、当初概ね否認であるか要領を得ないものであったが、審理を重ねて最終的に同事実5を否認するところとなり昭和63年2月17日在宅試験観察とされた。少年は、試験観察決定後の同年2月、3月は学校に概ね定時に登校し平穏に授業を受ける状況が続き、3月上旬には学習塾にも通うようになったが、授業を受ける態度は無気力で学習内容についてゆけず在席しているだけという状態であり、同月下旬には学習塾に行かなくなり、同年4月に3年生に進級したところ、クラス担任教師の編成変があり体育担当のFが少年の組を担任することになった。少年は、同年4月以降無断欠席や遅刻が多くなり、登校しても教師の指導に反発したり自己本位な行動が目立つようになり、同月26日には校舎内を土足で歩いたということで校長室で注意を受ける事態もあり、同月27日から5月6日まで無断欠席が続いたところ、翌5月7日に非行事実6の(1)、(2)が発生した。そして、少年の出席状況についての学校所見は、同年4月の授業日数20日中欠席9日、遅刻8日、同様に5月の授業日数23日中欠席16日、遅刻5日、6月(ただし、同月2日から12日までの間は除く。)の授業日数17日中欠席12日、遅刻5日、7月の授業日数18日中欠席12日、遅刻2日、8月の授業日数7日欠席3日、遅刻4日、9月(ただし、同月28日限り。)の授業日数23日中欠席8日、遅刻14日というものであり、その就学態度は、従前同様に校則に従わず自分本位なものであることが顕著である。このような登校状況について、少年によれば、朝眠かったり、腹痛や下痢気味であるなど体調が優れないことや、学校教師に対する恐怖感によるものであるというものである。なお、少年は、同年7月に別の学習塾に通うこととなり、夏休み中は昼間、9月からは夕方6時より週2回の日程で通っている様子である。

少年の家庭は、無線機、電気器具等の販売店を住居地とは別所に構えて1人で営業している実父(当42才、大学中退)、家事を行う父方祖母(当75才、高等女学校卒、元教師)、高校1年生の兄(当16年)で構成され、自宅には、原動機付自転車、自動2輪車等数台の車両や自動車部品を擁する車庫がある。そして、父は、少年の生活態度について問題のあることは一応認めながらも、少年の食生活を始めとして放恣、不規則な生活習慣について改善を講じないままであり、祖母も同様であり、学校、裁判所の少年に関する連絡・指導についても対応協調する態度は殊更に見られない。

2  少年についての昭和62年12月10日付け鑑別結果通知書の要旨は、概ね次のとおりである。

少年の知能は、知能指数が言語IQ110、動作性IQ114、全検査IQ115(WISC)であり、標準より優れているが、学力は、書字力、読字力とも劣っており平仮名の読み書きも満足にできないが、興味、関心の巾が広いことから聞き覚えた知識量はかなりのものがあり、一般的な知識に見劣りしない。性格は、幼児のような自己中心性があり、共感性が乏しく、常に他者から注目されていないと安心できないところがあり、そのためには手段を選ばず社会規範から逸脱した行動に及ぶこともあり、また、被害感、疎外感が強く、対人関係を円滑に運べないという面がある。精神面については、社会性の発達が遅滞しているが、精神障害は無い。このような少年の非行性は、社会生活を営むうえでの判断基準に偏りが生じているなどかなり進んでおり、要保護性は高次の段階にあると考えられる。

3  以上のとおりの非行の態様、少年の生活歴、性格、資質及び保護環境によれば、少年は、登校拒否の状況が早期に発現し、その集団環境での不適応状態が長期にわたり続いたにもかかわらず、適正な指導措置が講じられないままにそれを悪化させ、モーターバイク運転に関心が強いことと併せて、自己本位で規律や規範を軽視もしくは無視する態度が増長しており、児童相談所の関与も効果なく、当裁判所による試験観察中の態度も以前同様か下降気味の様相を呈しており、その問題点には根深いものがあることが窺われる。この問題点は、少年が、学校教育集団を卒業により離れ、また、運転免許を取得することにより容易に解消されるものとは言い難いものと思料され、その基礎学力の習得の程度も著しく遅滞していることと併せ、将来の健全な育成を期するうえで少年の要保護性は大きく、矯正改善の措置を講ずることは急務である。しかるところ、少年の保護者である父は、児童相談所の指導を通じても適正な監督指導の措置を講じられず、当裁判所も試験観察によりその動向を根気強く見届けてきたものの、その態度について格別の変化もなければ、その努力のあとも格別窺われず、今後にそれを期待することもむずかしいというべく、集団の場に不適応で規律に反発しがちな少年と、これを擁護しがちで、教育、福祉機関とも対立しがちな父親について、教護院、保護観察所において適正かつ効果的な矯正指導を講ずることは困難であると思料されるものである。そこで、少年に対し、現在の不規則な生活態度を改めさせ、集団の場におけるあるべき規律とその遵守の習慣を体得させるとともに、義務教育課程の履修をさせるためには、強制力の伴う施設に収容のうえ専門機関の手で監護指導してゆくことが最適の措置であると判断される。現段階において、少年に対する指置が不徹底なものに終わることは、上記要保護性の内容からして相当ではない。以上の次第により、少年を初等少年院に送致するものである。そして、この処遇については、少年の問題点が根深いため長期収容が相当ともいえるが、少年の知能は高く、その資質には優れたものがあるので、更生への覚醒を促す契機とその方向付けを与えるものとして短期間に集中的になされることがより相当と思料される。そして、この保護措置の決定と執行が、少年に対し逆効果となり、公的機関や集団環境にたいする一層の不適応感や反発を募らせることのないよう、矯正機関において配慮した指導をし、少年自身もその理解と努力をするよう切望する次第である。

よって、少年法24条1項3号、少年審判規則37条1項を適用し、一般短期処遇課程における矯正処遇を期して、主文のとおり決定する。

(裁判官 小原春夫)

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